1歳2か月の娘を子育て中の主婦、まどかです。
1人の子どもを1年間育てただけなので、まだまだ新米の母親のたわごとですが、私なりの育児論を記事にさせていただきました。
ザックリとした内容としては、自己肯定感の育み方です。
ついつい我が子に「こうなって欲しい!」など期待をしてしまうのですが、「期待」よりも「祈り」の方がお互いのメンタルヘルスに良いのでは!?
と思いました。
「育児に対してこういう考え方もあるのね」程度に聞いてもらえると嬉しいです。
まどか



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子どもの自己肯定感を上げて、心の健康を守ってあげたい
まずは私が自己肯定感についてこんな風にとらえているよ!という部分を知って頂き、これからの話の前提にしたいと思います。
自己肯定感がわが子の「幸せ」のかぎ
私が子育てで最も大切にしている「自己肯定感」については、子育てカウンセラー心療内科医の明橋大二先生の著書「子育てハッピーアドバイス」シリーズから学びました。
「自分は大切な存在であり、生きている価値がある。必要とされている」
このような自己肯定感を育むことで、ルールを守れたり、勉強に意欲的になれたり、人生を主体で生きられる人間になるようです。
失敗や上手くいかないことがあっても、「自分は大丈夫!」とふんばることができる。
自分を大切にできるからこそ、他人にも優しくすることができる。
つまり、「自己肯定感」ってめっちゃ大事やん!って話です。
まどか
「子育てハッピーアドバイス」シリーズは6~7冊読んだのですが、何回でも読み返したいものばかりでした!
中でも、自己肯定感を育む関わり方や、「甘えさせてあげる」ことと「甘やかす」こと違い、父親の役割や産後うつなど、子育てで知っておくべき大切なことがギュっと詰まった「0~3歳のこれで安心 子育てハッピーアドバイス」は、出産後すぐに読んでおいて本当によかったです。
\これ1冊で育児の方向性が定まるよ/
娘に摂食障害になって欲しくない私
私のプロフィールのページではサラッと触れましたが、私は20歳前後のころ、摂食障害になりました。
3年間に及ぶ過食嘔吐でしたが、ブログで公表できるようになるまで7年かかりました。
それほど心にガッツリ傷跡を残してくれた経験です。
いや、まじで辛かった。
自分のことなのに、自力ではとめられない衝動。
「自分はダメなことをしている」という嫌悪感により、消えてなくなりたいと思う毎日。
助けが必要なのに誰にも言えない孤独感。
普段の日常は変わりなく楽しいのに、スイッチが入ると思考回路が別人になってしまう制御不能な、本当に困った病気でした。
私が摂食障害になった原因や治っていく過程については、後日書きたいなと思うので、本人または大切な人が、暗い暗い出口の見えないトンネルで疲れてしまっている時に「治っていく人もいるんだ!」という希望になったら嬉しいです。
話は子育ての話題に戻ります。
摂食障害は女性がなりやすく、母子関係が深く関わっているとみられています。
摂食障害、アルコール依存症、ギャンブル依存症、セックス依存症、これらは共依存や条件付きの愛が関係しているとも言われているようですね。
私自身は幼い時から大人の顔色がよく分かる子どもだったし、「母親に自分を良く見せたい」「母親を落胆されたくない」という思いが強烈でした。
私の母親は、無条件に私のことを愛してくれていたにも関わらず、「母親を喜ばしたい」「褒められたい」という思いから、背伸びをしていんでしょうね。
そして「頑張れば(無理すれば)結果が出せる」ことが出来なくなってきたころ、ちょっとしたきっかけで摂食障害になってしまいました。
まどか
今は、自分の価値や生き方は「周りに良く思われたい!」という感情ではなく、自分が決めた幸せの尺度でモノゴトを考えるようになったし、母親の思いと自分の心を区別して判断できるので、おそらく再発をすることはないでしょう。
まぁ、私のことはさておき。
気がかりなことは、娘の心の健康です。
私は自分の娘には摂食障害になって欲しくありません。同じ思いはさせたくないです。
だからこそ、娘のメンタルヘルスに対する思いはかなり強く、自己肯定感を高い子に育てたい!と常日頃思っています。
何か嫌なことがあったり、傷ついた時でも、「自分には価値がある!」と思えたら、自分自身を傷つけることなく乗り越えていけるんじゃないかな。
いや、乗り越えて行って欲しい!
まどか
わが子に「期待」することによる落とし穴
明るくて活発な女の子になって欲しい!という「期待」は存在否定への第一歩?
子どもに対して、私が間違った考え方をしていたと感じた話をします。
私はもともと明るくて活発な女子でした(今も?)。摂食障害になったことはあるものの、性格や考え方はポジティブで、チャレンジャーの飽き性です。
私自身、この明るい性格とか活発な性格というのは、長所だと思っていたので、意識せずとも「自分の娘も明るくて活発な女の子に育って欲しい」と「期待」している自分がいました。
今でこそ日々怪獣と化している娘ですが、歩き出すまでは比較的大人しい一面があり、興味があるのは商品の小さいタグとか、糸くずなどの繊細なモノ。(そんな娘も愛おしいと思っていたんですけどね。)
そんな感じで娘が育っていたある日、初めて会う同年代ママに
と言われました。
私はすぐに「家ではそんなことないよ~」と否定し、同時に「大人しいなんて言わないで!」とムキになってしまった自分がいたのです。
この時ようやく私は「娘が明るくて活発な女の子だと思われたい!」と思っていたことに気づきました。
(「大人しいから子育てが楽でいいよね」って言われたような気がしたのも、嫌だったかな。)
「期待」は「子どもの行動で自分が喜びたい」という思いの表れ?
今思い出しても、本当にみじめな母親でした。
「明るくて活発な女の子でいて欲しい」という「期待」は、娘の幸せを無条件に想っている愛とはかけ離れたものであり、「自分の娘が周りにどんな風に見られているか」を考えている思いなのです。
「優しい子に育って欲しい」という思いだって、少なからず「優しい子に育てあげた母親でいたい」という思いが含まれているのではないでしょうか。
いやいや、優しい子に育ったら素敵な友達に恵まれ、幸せな人生が送れるのだから「優しい子に育って欲しい」という思いは、無条件の愛情からくる考え方でしょ!という意見もあるかもしれません。
でも、それならいっそのこと「今日もこの子が幸せな気持ちで過ごせますように」と、シンプルに幸せを祈ったらいいのではないでしょうか。
これはニュアンスの問題なのですが「あなたが優しい子に育って欲しい」というより、「あなたが優しい気持ちで過ごせますように」という表現の方が純粋な愛を感じます。
「期待」は結果や見返りを求めていますが、「祈り」は愛を送り続けるイメージです。
まどか
わが子への「期待」を「祈りに」変えてみた
「I(アイ)メッセージ」は存在を肯定する親からの愛情表現
「明るくて活発な女の子でいて欲しい」というのは「(あなたが)明るくて活発な女の子でいてください」という「youメッセージ」です。
それにひきかえ、「あなたが幸せな気持ちで過ごせますように」という祈りは「(私は)あなたが幸せな気持ちで過ごせると嬉しく思います」という「I(アイ)メッセージ」です。
子育ての場で「I(アイ)メッセージ」が重要だなと私が考える理由は、あなた(子ども)と私(母親)の境界線を作っているという部分です。
「youメッセージ」は「あなたはこうしてください」と、子どもの行動の舵を言葉で握ってしまっています。
「I(アイ)メッセージ」は「私はこう思っているよ」と、自分の思いを告げるだけで行動自体は子どもにゆだねている伝え方だと思いませんか?(私だけ?)
シンプルな「祈り」が子どもに自由を与えられる
「幸せを感じられますように」
「健康で過ごせられますように」
期待と祈りの違いについては、ニュアンス的な部分が多く、私の語彙力では言葉で区別しにくく、誰か分かりやすく表現して欲しいところです。
でも結局は、子どもがどんな人生を送ろうと、子ども自身が「今日も幸せだな!」って感じることが出来れば最高ですよね。
幸せの尺度を、子どもにたくすことで、娘には自由な人生を送って欲しいです。
「お母さんはいつも幸せそう。私が失敗してもお母さんは不幸になんてならない。」こんな風に娘に思ってもらいたいです。
まどか
おわりに
最後まで読んで頂き、ほんとうにありがとうございます!(手を取りお礼を言いたい!)
母親としてまだまだお尻が青い私ですが、今の子育てに対する思いを残しておきたかったので、書いてよかったです。
娘に対しては期待ではなく、毎日「幸せ」と「健康」を祈ろうと決めた日からは、子育てに対する方向性が見えてきたおかげか気持ちが楽になったし、なぜか自分自身の自己肯定感もかなり上がりました。
もっと気楽にのびのび子育てしたいよ~!と感じているママは、一度「期待」を「祈り」に変えてみてはいかがでしょうか。
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